4. シャクナゲ
季節は過ぎ、少し前まで雪が混じっていた冷たい風は桜の花弁を運ぶ春風へと変わる。
私は小学五年生になり、ぐんと身長が伸びたことによる成長痛に頭を悩まされながらも元気に毎日を過ごしていた。
「八十ちゃん、一緒に帰ろ」
「うん。あ、今日何か用事ある?」
「ううん、ないよ。どうしたん?」
「鴨川通って帰らん?今めっちゃ桜が綺麗やってお祖母ちゃんが言うてた」
「うん、いこいこ!」
私に一緒に帰ろうと声を掛けてきたクラスメイトの少女。それは去年私が一人で「度胸試し」をするだけではなく不審者を捕まえることになったきっかけを作ったあの谷邊桃花だった。
夜間に小学生が出歩いていたことを咎められはしたものの連続児童誘拐・殺人事件の犯人だった男を捕まえたことで私と加茂井さんは京都府警から感謝状をもらう羽目になった。
事件の次の日登校した私を見てクラスメイトたちは「やっぱり幽霊などいないのだ」と囁きあっていたのだが、桃花だけは私の顔を見るなり頭を下げて謝ってきたのだ。
自分のせいで危ない目に合わせてしまった。昨日止めるべきだったのに言い出せなくてごめんなさい。周囲の視線を感じ慌てて教室から連れ出し宥めているうちに、私は桃花が「力」を持っていると知った。
それは私よりもずっと弱く、たまに何もいない場所で声が聞こえたりひどい寒気に襲われる程度だが、相談できる相手もおらずずっと一人で悩んでいたらしかった。
その日をきっかけに私と桃花はよく話をするようになり、いつの間にか彼女は私の数少ない友人の一人となった。数少ないと言ったが、実のところ同じ学校内という括りでは唯一の友人だったりする。
「なあ八十ちゃん、あの話聞いた?」
「あの話ってどの話?」
まだ少し冷たさの残る風にぶるりと身体を震わせながらそう聞き返したが、桃花がこうやって話し出すときその内容は大抵オカルト絡みであると数か月の付き合いで学んでいた。
「西ノ京小堀町あたりでの話やねんけど」
桃花の話を要約するとこうだ。
西ノ京小堀町というのは二条城の西側にある一帯のことで、建て直しが行われている地下鉄二条駅がすぐ近くに見える。
ある日そのあたりを歩いていた近所の子供たちが、とある一戸建ての二階の窓から外を眺める女性に気がつき足を止めた。
なんでも毎日のようにその家の前を通っていたのにどうして今まで気が付かなかったのか不思議なほどその女性が美人だったらしい。連日ワイワイ騒ぎながら家の前を通り過ぎて行く子供たちに、その女性は嫌な顔をするどころか優しく微笑んで手を振り返してくれるようになった。
しかし彼女はいつも真っ白なワンピースを着ていて、暖かくなってきても窓を開けることはなく喋り掛けても困ったように微笑むだけ。
そんな彼女の様子は子供たちの創造力をかき立て、みんな口々に病気で部屋から出られないのではないか、とか意地悪な家族に閉じ込められているんだ、とか言い始めるようになった。
そしてある日、子供たちの中でリーダー的な存在だった男の子が思い切ってその家を訪ねインターホンを鳴らした。
子供たちがドキドキと見守る中家から出て来たのは眼鏡を掛けた真面目そうなお兄さんで。
彼は「二階の女の人」について尋ねられると不思議そうな顔をして「ここに住んでいるのは自分ひとりだ」と答えたらしい。
そんな答えを聞いても、実際に毎日自分たちに向かって手を振る女性を目にしている子供たちが納得するはずもない。なおも食い下がる子供たちに、お兄さんは仕方ないなと苦笑しながら彼らを家に上げ二階の部屋を見せてくれた。すると確かにそこには誰もおらず、誰かが生活しているような気配も無い。
大学に通うために親戚が昔住んでいた家を借りているお兄さんは、一人暮らしなので余計な部屋には手を付けず一階だけを使って生活していたのだ。
だから「美人のお姉さん」どころか「誰かが二階にいる」こと自体がありえない。では自分たちが目にし、手を振っていたのは一体誰だったのか。
「……その正体は幽霊やって話?」
「噂ではね」
「……もしかして行ってみたいん?」
「え!なんで分かったん?」
「そういう顔してるもん」
「すごいな、八十ちゃん!」
目を輝かせてそう言う桃花に私は曖昧な笑顔を浮かべる。
桃花ほど考えていることが分かりやすい人間もいないと思うのだけれど、本人にその自覚は一切ないらしい。
仕方なくいつもの帰宅ルートから外れ、地下鉄に乗って二条城のほうへと向かう。学校帰りの寄り道は校則で禁止されているので、遅くなる前に家に帰らなくてはならない。
地下鉄二条駅からJRの架線沿いに歩いているうちに住宅街にたどり着いた。昼下がりということで人通りは少ないが閑静な住宅街に不穏な気配は見られない。「この辺りやと思うんやけど」と言う桃花と一緒にキョロキョロしながら歩いていたところで、不意に若い男に声をかけられ足を止めた。話を聞いたところ男が噂の家の住人で、小学生たちに部屋を見せてくれた本人であるらしかった。
「君たちも噂を聞いて来たのかい?」
「え、あ、はい!すみません、お邪魔でしたよね」
「僕は構わないんだけどご近所さんがね……」
「そうですよね、ほな失礼しま、」
「とはいえ折角だし見ていく? 二階。本当になにもないけど」
「いや、それは」
「いいんですか!?」
男の誘いを断ろうとした私の言葉を遮ったのは目を輝かせた桃花で。流石に子供だけで知らない人の家に上がり込むのはまずいだろうと小声で咎めれば、彼女は「大丈夫やって」と屈託なく笑う。
普段はこんなことを絶対に言わないタイプなのだけれど、完全に好奇心に心を奪われているらしい。短い付き合いではあるがこうなった桃花を止められないことを知っていた私は「ほなちょっとだけな」と深いため息を吐いた。
男の家は私たちがうろついていた場所からすぐ近くで、見たところ普通の綺麗な一軒家だった。ちらりと二階の窓を見上げても、そこに嫌な気配は感じられない。やっぱり噂は噂か――そう思って瞬きをした次の瞬間、カーテンの向こう側からこちらを見下ろす女性と目が合って私はひゅっと息を呑んだ。彼女はとても悲しそうな顔をしていて、私と目が合ったのを確認すると懸命に首を横に振っていた。「彼女」に悪意は感じられない。しかしどう見てもあれは来るな、と言っている。
直感的にそう判断し、先に家の中へ上がり込んでいた桃花を追いかけて「やっぱり帰ろ」と声をかけたその時だった。
「君はいい目を持っているね」
うっとりとした表情で私の頬に手を添えたのはこの家の主である男で、私は確かに「彼女」は警告していたのだと確信した。
「……ッ、桃花、走って!」
「えっ、なに!?」
「いいから、走って!」
玄関のほうへ桃花を押し出し、その後に続こうとしたところで私の目の前に男が立ちはだかる。腕を広げてほほ笑む男の目は完全に普通の人間のそれではなく、濃厚な欲望の色に歪んでいた。
玄関のドアはすぐそこにある。しかしこの状況で私の倍ほどの身長のある大人の男を突き飛ばして逃げるのは不可能だ。そんな時、じりじりと距離を詰めてくる男を睨みつけながら後ずさった私の視界に二階へと続く階段が目に入った。
「チッ……どうして逃げるの? 約束通り綺麗にしてあげるのに」
男の腕の下を潜り抜け階段を駆け上る。背後で舌打ちをする男に向かって階段の脇に置かれていた段ボール箱を蹴落とし、そのまま突き当たりの部屋に駆け込み内側から鍵をかけた。そして脱出方法を考えようと窓のほうを振り返り、私はその場で口元を押えてよろめいた。背中をぶつけた入口のドアがガタンと大きな音を立てる。しかしその時の私にはそんなことを気にしている余裕はまるでなかった。
その部屋は八畳ほどのごく普通の和室だった――その中央に敷かれたビニールシートの上に簡易ベッドが置かれ、その上に白いワンピースを着た女性が横たわっていたことを除けば。
「……ウッ……」
込み上げてくる吐き気を懸命に抑え、恐る恐る女性のほうへと近づいていく。手を伸ばせば触れられるほどの距離から見て、私は気づいてしまった。その身体がつぎはぎだらけであること――そしてそのつぎはぎが、複数の人間の身体を縫い合わせることで作られているということに。
耐えられなかった。ビニールシートの上にしゃがみ込み、胃の中のものをぶちまける。吐しゃ物特有のツンとした臭いが鼻をつき、私は生理的な涙を流しながらずるずると窓のほうへ這って行った。そんな私の前で、ふわりと白いなにかが揺らめき顔を上げる。それは「彼女」だった。驚いてベッドのほうを振り返ればそこにはまだ確かに「彼女」が寝ていて、それが実体を持たない存在であると気づく。
「彼女」はとても綺麗だった。透明感のある肌、ぱっちりとした二重、薄い唇。そしてさらさらと流れるセミロングの黒い髪。彼女は悲しそうな顔で私に手を伸ばし、抱き締めるようにしてその場で助け起こしてくれた。やはりそこに害意はなかったが、人間ではありえない肌の冷たさに私の目からまた涙が零れた。
その時の私の中に存在していたのは、恐怖と悲しみ――そしてふつふつと湧き上がる怒り。それらの感情は私の中でぐるぐると混ざり合い、汚れた口元と涙でぐしょぐしょになった目元を拭い息を整えた瞬間、全身の産毛が逆立つような感覚として私の心から溢れた。そして私は、その感覚を知っていた。
「……悲しいね……あまりにも悲しい」
「青江さん」
「助けたいかい?彼女を」
「……助けたいです」
「君ならそう言うと思ったよ。刀を握って。君のカバンの中だ」
耳元で聞こえたいつもより低い声はにっかり青江と名乗ったあの男のもので。彼に言われるままカバンに手を入れた私は、指先に触れた脇差を取り出しその鞘を取り払った。
それと同時に部屋の外からガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえてきて、私は自分の身体が震えるのが分かった。大きな音を立ててドアを開けた男は、脇差を構える私を見て目を丸くしてから馬鹿にしたように笑う。
「どうしたのそんなおもちゃ持って。綺麗にしてあげるよ、約束通り」
「やめて……それ以上来んといて!」
「なんでみんな嫌がるの?君も分かっているだろう、これが僕の愛だ」
不思議で仕方がないという風に首をかしげた男が、入り口近くに置かれたテーブルの引き出しからメスを取り出す。ギラリと光るその切っ先にガタガタと震える私の腕を後ろから抱きしめるようにして包み込んだのは、その黄金の瞳に剣呑な光を宿した青江だった。
どうやら青江の姿は私にしか見えていないようで、男はメスを持ったままじりじりとこちらににじり寄ってくる。
「大丈夫だよ、僕を信じて」
それは生まれて初めての感覚だった。重力がなくなってしまったかのように身体が軽くなり、私はトンと畳を蹴ると今まで出したことがない速度で男に近づきその手からメスを叩き落した。そしてそのまま唖然とする男の左胸に向かって脇差を突き刺そうとしたところで視界の端に現れた白いワンピース。脇差の切っ先は私と男の間にふわりと滑り込んできた「彼女」越しに男の身体に突き刺さり、男の身体は部屋の入口から隣の部屋へと吹き飛ばされていった。
その反動で尻もちをついた私に、「彼女」は微笑みながら「ありがとう」と言い煙のように姿を消した。その途端、全身から冷や汗が噴き出るのが分かった。人を刺してしまった。しかし馬鹿みたいに震える両手に血の跡はなく、部屋の外で気絶している男にも目立った外傷はない。
「なんで……?」
「君がそう望んだからだよ」
ぽつりと聞こえたその声に振り返ったときにはもう青江の姿はなく、私が手に持っていたはずの脇差も姿を消していた。腰を抜かしたまま呆然と目をやった外の生垣から、シャクナゲの花が一輪地面に落ちる。そうこうしているうちに外からパトカーのサイレンの音が聞こえ、すぐそこで止まったあとでドタドタと階段を上がってくる音が聞こえた。桃花が警察を呼んでくれたようで、部屋の中に踏み込んできた警察官は中央の「彼女」を見て顔を歪めながらもすぐに私を保護してくれた。
警察官に付き添われ家の外に出ると、涙で顔をぐしゃぐしゃにした桃花に「ごめん」「うちのせいで」と抱き着かれ、私はそこでようやく張りつめていた気が緩んだのか桃花と抱き合ったまま声をあげて泣いた。
その後しばらく警察署で話を聞かれている間、警察はもちろんのこと呼び出された両親にもこってりしぼられた。おまけに近所の人の話からあの家を訪れていたのが私と桃花だけではないことが明らかになり、次の日には全校集会が開かれたと聞いた。聞いた、という曖昧な言い方なのは、私と桃花が一週間の自宅謹慎を言いつけられて学校を休んでいてその場にいなかったからである。
風の噂で聞いた話によると、男は医大生で一年前に彼女を亡くしてから休学をしていたらしかった。生前彼女が「綺麗になりたい」と口にしたことを覚えていた男は、女性の身体の美しい部分を集めては彼女の死体に移植していたらしい。つぎはぎの身体から検出されたDNAは京都府だけではなく他府県の失踪者の中にも該当者がいたようで、男がどれだけ念入りに計画を立て慎重に行動していたかがよく分かった。その慎重さと同時に街中の住宅街に住みそこで犯行を行うという大胆さが捜査の網から彼を逃していたとか。現に頭がよく優しい人柄は近所でも評判で、事件のあらましを聞いた人たちは口をそろえて「まさかあの人が」と話していたそうだ。
そんな話を聞いて、「人間は恐ろしいことをする」と言った青江の悲しそうな声が頭に響いた気がした。
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